母と暮らせば

2015年12月12日公開。山田洋次監督「母と暮らせば」

感想を書こう書こうとしていてなかなかできず、なんやかんやと年を越して去年の出来事となってしまいました。山田洋次監督作品を見たこともなく、戦争映画にも免疫がない。そんなクソジャニヲタの私ですが、まだ上映している映画館もある今のうちにクソジャニヲタなりに感想をしたためました。ネタバレを存分に含んでいるのでよろしくどうぞ。

 

舞台は終戦後の長崎、原爆で死んだ息子が母親のところへ幽霊として帰ってくる、というあらすじ。山田洋次監督初のファンタジーと銘打ってありました。戦時中の激しさや強烈さはないけれど、作中にはほの暗い戦争の傷跡が散らばっている。メインストーリーである福原家は長男が戦死しているし、町子の教え子はまだ幼いが父親が戦死し、婚約者も戦争で片足がない。復員局の男性は片手がなく不自由そうに文字を書いていた。終戦して3年経つけれど、日常はまだ戦争が色濃く残っている。

「怒りのヒロシマ、祈りのナガサキ」長崎にはクリスチャンが多くいたからそう言われるそうで、母の信子もクリスチャンだとわかる描写がたくさん出てくる。この長崎独特の文化背景はすごく新鮮でした。息子の浩二も外国文化が好きらしく、特にメンデルスゾーンのレコードを大切にしている。このレコードが恋人だった町子とのちに結婚する黒田先生との仲を結ぶことになるのも切ない演出だった。

浩二くんは戦時中の男という感じがしない。お国のためにこの命を張って死ぬ覚悟でなんちゃらというキャラではなく、おしゃべりでお調子者で甘ったれで優しい。いかにも次男坊という感じ。母と息子たった二人の家族なら、普通一人っ子の方がしっくりくると思うんだけど、なぜ次男なんだろう…。そのせいで意図的に母と息子のラブストーリーにしてあるように思えた。そういえば、幽霊の息子が母親の妄想の類ではないことを示すため子供には浩二の姿が見えるという設定は上手いなと思った。

ラストに向けてじわじわとゆっくり物語は進んでいく。終わってみるとこれは、そういう業者のように死んだ息子が母親の身辺整理をしているように思えた。上海のおじさんとの繋がりを切らせたり、町子に自分を忘れるように言ったり。そもそも母親は原爆で死んだ息子が今でもどこかで生きているんじゃないかと諦めきれなかった。3年経ってやっと気持ちを切り替えようとした矢先、目の前に息子の幽霊がやってきて楽しかった思い出をあれこれ語る。ずっと息子と一緒に居たいと思うだろう、当然この世に未練もなくなる。納得のラストだった。エンドロールの合唱はちょっと怖い………。

反戦、反原爆の意味を持つこの映画は「明日に向かってつよく生きていこう!」みたいな前向きなメッセージなどはひとつもない。子を失った悲しみを持つ親、身体の一部を失った人々、幸せになってはいけないと思う町子、そこには理不尽な悲しみだけが残っていた。「これが運命だったんだ」と浩二が言えば「それは違う」と信子が言う。「地震津波とは違ってこれは防げたことなの、人が起こした悲劇なのよ」というセリフがとても印象的だった。