とらがうしおを喰ったはなし

祝アニメ化!ということで。7月からアニメが放送している「うしおととら

アニメ化に伴って完全版も発売しております。未読の方は是非この機会に。

 

 もう語り尽くされた四半世紀前の漫画に、改めてなにを語ることがあろうかって感じなんですが、この奇跡のアニメ化で浮かれているので許してください。

 さてタイトルにもあるように「とらがうしおを喰ったはなし」をしようと思います。この記事は物語の核に触れる強烈なネタバレであり、アニメ派の人、これから漫画を読もうと思っている人はご注意ください。

 

 

「とらがうしおを食べたはなし」と聞けば、うしおととらを最後まで読んだ人なら思い浮かぶ台詞があると思います。

「もう…喰ったさ。ハラァ…いっぱいだ」 

号泣必至の名シーン、とらの台詞です。そもそも、とらにとって「喰う」というのはどういうことでしょうか。物語の序盤では、とらは潮を殺して文字通り「喰う」つもりだったわけです。しかし終盤になるとその意味も変わっていきました。

作者の藤田先生は連載終了直後のインタビューでこう仰っています。

とらにとっての「喰ってやる」という表現は、とらが人間(シャガクシャ)だった頃、守り切れずに看取った女性が最期に言った「シャガクシャ様のお口の中に隠れていればよかった」という言葉に起因しており、自分にとって、いいと思う者は口の中に入れて隠してしまえば、つまり喰べて身の内に入れてしまえば、もう、その者は他の誰からも害される心配はなく安全なんだ。という想いがずっと、とらの中にあり、それが無意識の内に「おまえはわしが喰う」になるので「喰ってやる」というのは愛情表現としては、ある意味正しい。

とらというキャラクターが深く掘り下げられたのは、物語の終盤です。彼は元人間であり、獣の槍の最初の使い手であったこと、さらに白面の者を育て実体を与えた張本人であることが明かされます。もともと白面はとらと同じ身であり、分身です。しかし白面は負のエネルギーを「喰い」、とらは陽のエネルギーを「喰った」という構図になるわけです。

初代担当者の武者氏のインタビューで、なるほど~と思った言葉がこちら。

「カッコいい男って、どんなヤツだろう?」という話をしていた覚えはあります。それが当時、僕のテーマだったんです。僕が思ったのは、簡単に言っちゃえば、「自己犠牲の精神」かな、と。他人のために己のすべてを投げ出す。潮も、連載の中で何回もやるじゃないですか。

この、他人のために己のすべてを投げ出す「自己犠牲の精神」。まさに潮はそういう人間です。「うしおととら」は王道の少年漫画と言われることは珍しくありませんが、少年漫画に不可欠な「少年の成長」について、主人公である潮は第一話から大きく変わってはいません。成長というカテゴリーは、もうひとりの主人公のとらに、そのほとんどが担われていました。

妖というのは本来自分勝手な生き物ですし、命の尊さにも他人のことにも無関心だったとら。しかし白面との最終決戦で彼は自分の命がどうなるかも分からず、獣の槍を自ら身体に突き刺すという行動にでます。つまり、今まで潮が行っていた「自己犠牲」を最後の最後でとらが行うという展開に繋がるのです。それはなぜかというと、とらが蒼月潮という少年を腹いっぱい「喰った」から。

うしおととら」は妖怪漫画ですが、妖怪を退治する漫画ではありません。妖怪とそれに関わった人々を絶対的な悪から救う話です。潮が持つ陽のエネルギーでたくさんの妖怪を救ったからこそ、彼らに情や仲間意識が芽生え、協力し、白面の者と決することができた。その中でもとらが一番うしおに救われたのだと私は思っています。