忍びの国

嵐・大野智主演「忍びの国」を見ました。ネタバレなしの感想を書くつもりだったんですが、すっかり遅くなってしまい、もうみんなとっくに見てるか!と開き直ってネタバレありの感想をだらだら書きます。続きを読むからどうぞ。

 

 

 

結局2回見たのですが、すごくテンポがよくて中だるみもないし、中盤に術という名の頭脳戦を差し込んでくるのがすごくいいなと思って。劇場で見ててニヤニヤしてしまいました。

アクションはやはり3日かけて撮ったという2度目の川のシーンは本当に素晴らしかったです。それを際立たせるためなのか、ほかのアクションはちょっとやりすぎなくらいコメディタッチだったのは少し残念だった…漫画的なのはいいけどね…。

それからこれだけはどうしても言いたかったんですが、紅一点のお国をすごく綺麗に撮ってくれるな~と思って。石原さとみちゃんはもちろん可愛いのですが、ひとりだけ輝いて見えるくらい美しいのですよ。やっぱヒロインはこうでなくては…!美しいというだけで、無門が尻に敷かれていることに説得力が出ます。あとは伊勢谷くんがかっこよかった…。大膳はちょっといいキャラすぎると思うんですけど、彼は物語の役割としてはヒーロー的な立ち位置なのでこれでいいのでしょうね。

 

2回目の川のシーンですが、最初見たときシーン途中で流れるなんかいい感じの音楽は一体……?って思ったんですけど、無門はあのとき平兵衛の気持ちを理解したというか人になりかけてたんでしょうね。だからわけもわからず平兵衛の怒りが伝わってしまった。伊賀の地に埋めてくれと大膳に頼むこともした。人になった無門がお国を失って言うセリフも弟を失った平兵衛と同じ「わしは大馬鹿者だ」

終盤のお国のシーンちょっと唐突でお涙頂戴だと言われるかもしれないけど、無門は人が死ぬのがどういうことかわかってなかったので必要なシーンなんだと思うんです。 無門はお国に「可哀想」と言われるまで自分を可哀想だと思ったことがなかった。だから似た境遇の、可哀想な子を引き取って育てるってオチも納得。

この映画で「可哀想」というのは重要なセリフだと思うんです。たぶん人の気持ちを理解するのに必要な感情だからだと思うんですが、無門はたしか2度「可哀想」と言うセリフがあって、一度目は鼠くんを「可哀想なやつなんですよ」と。そして2度目は川のシーンのあと平兵衛に「可哀想なやつだ」と。これ、1度目は人でなし、2度目は人間として言っているので、言い方が全然違うんですよね。可哀想、というその人の気持ちになって考える、同情する、悲しみを共有するということ、人でなしには理解できない感情だったのでは。(ピクサーのインサイドヘッドみたいな話になってきた…)要するに信雄が家臣たちに「天下一の父を持ったことがあるか!?」とぶっちゃけるシーンもそうで、織田軍のみなさんは人間なので、ああ可哀想だなと同情することが出来たわけです。同情や感情の共有で一致団結することができるのは人間だからなのですね。ここシーンの知念くんすごくよかった。役にぴったりでした。

でも忍びの国の下忍たちは現代にも生き続けてるっていうのは少し腑に落ちなかったな…。だって人でなしが人になる話なのに、現代じゃ国のために命をかけて戦うより、自分の欲に素直なほうがよっぽど人間らしいんじゃ…?あの時代だから成り立つ理論なのに現代を引き合いに出すのはちょっと違うなと思った。一瞬差し込まれる現代の映像にもすごく冷めてしまった。利己的うんぬんじゃなく無関心とか人の気持ちがわからないというオチなら納得出来たのかも……。